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 第7章 の た う つ 竜   その2                五期主計雲南始末記
 ミートキーナとバーモーの間に降下した英空挺部隊は次第に勢力を増し、5月17日 菊兵団の一大
隊の守るミートキーナを攻撃してきた。30日 騰越の第 148歩兵連隊長の水上少将は騰越の守りを蔵
重大佐に託し、一大隊を率いてミートキーナ救援に駆けつけたが、救援ならずと見て、兵を騰越に返
し、自らは責めを負うて割腹自決して果てた。因みに、雲南進攻時、 148連隊はミートキーナを攻撃、
占領したが、同道した菊兵団の一大隊にミートキーナを委ねて反転して騰越を攻撃し、占領した経緯
がある。8月2日 ミートキーナは陥落した。

 騰越の 148連隊は重慶軍と応戦中であるが、若し、騰越失陥ともなれば英軍と重慶軍はバーモーか
ら椀町に進出して竜兵団包囲を企図するでしょう。左の企図に対応して拉孟の松井連隊長率いる歩兵
 113連隊の主力と椀町の歩兵第 146連隊の一大隊が急派され12月14日までよく防戦して任を果たした。

 水上少将と代わった 148連隊長の蔵重大尉は騰越前線で孤立して重慶軍と戦う全滅寸前の各隊を重
囲から救い、騰越城に拠って重慶軍と戦っていたが、乱舞する敵機の直撃弾が城壁を砕き、防空壕を
埋め、蔵重守備隊長以下32名は息絶えた。6月13日 残った 610名は壕の中で軍旗を焼き、白刃を振
って敵陣に突入、壮烈な戦死を遂げた。
かくて、「騰越の日軍、強たりと雖も鬼神にあらず。然るに、我が填西地区反抗開殆以来、4ケ月を
数えありて、なお、その目的を達成し得ず、甚だ遺憾である。かくては国軍の名誉を失い、ひいては
中国の世界的地位をも疑わしむに至たらん」と蒋介石をして言わせた騰越攻防戦は終わった。
騰越野戦倉庫の主計・花田少尉は騰越城の城壁の下敷きになり、息絶え絶えのところを中国兵に助け
られ、連隊本部に連行中に暴れて射殺された。早大出身の柔道の猛者らしさが目に浮かぶ。

 雲南進攻時、拉孟を占領・駐留していた歩兵第 113連隊はその主力はバーモーへ、一部は平戞、竜
陵、芒市へ配置され、残る金光野砲第56連隊長が拉孟守備隊長となり、連隊長以下1300名、砲兵では
出て戦えるわけなく、専ら、守る外なく、終に、9月7日 全員玉砕し果てた。
大阪天王寺出頭以来、一諸だった五期主計・中島江少尉もここに死す。芒市の経理部に到着し、私は
経理部に残り、中島は拉孟に向け発ったのが最後となった。機転の利く、人のよい中島を悼んでやみ
ません。中島は煙草好きの連隊長のためビルマに煙草を買いに行った由。何故、私のところに来ない
のか。彼に便宜を計れたのに残念です。法務官の息子らしく縁故便宜を嫌う気風を感じ、惜しい男で
した。

 兵団配置の[双頭の竜]の拉孟と騰越の二つ頭は切り取られ、次は[喉]に当たる竜陵攻防戦にな
ります。第56工兵連隊長・小室大佐以下1300名、うち入院患者 400名は4万の重慶軍と対峙している。
敵は北門北方の東山と守備隊右翼の山沿いに展開している。野戦倉庫の我々は守備隊左翼、野戦倉庫
の裏山陣地を担って居るが、陣地前に敵影はない。しかし、我々には守るの外、倉庫業務があります。
穴だらけになった屋根修理、糧秣の処分などを行う。爆撃で倉庫ごと吹き飛んで、綿・紙・衣頚を樹
木に散らし花咲か爺が灰を撒いて花を咲かせた様な景観は始末がよいが、穴だらけになった屋根修理
は面倒。倉庫内から竹竿の先に立てたローソクの光で穴をまさぐり、屋根に上がって居る者が紙張り
し、その上にコールタールを塗る。ほのぽのと夜が明け染めるや、号令一下、作業を止め、一斉に倉
庫を離れる。毎日、この穴修理が続き、切りがない。敵の攻撃は日に2,3度です。

 突然、倉庫前に敵の前進陣地が出来、倉庫から物を出す形勢に、こちらも運び出せと忍び行き、運
び始めたが、荷物を落として音をたてたのでこれまでと持って来たガソリンをかけ、点火して、燃え
る倉庫を背に引き揚げた。
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